【さみしい夜にはペンを持て】「書くこと」の本質とは
古賀史健さんの『さみしい夜にはペンを持て』。 手に取ったきっかけは、タイトルおしゃれ!表紙きれい!と完全にパケ買いです。 どこかのPOPか説明文にあった「他者より先に、自分との人間関係を築くための本」という紹介文が、まさに本書を表していると思います。 書くことは、誰かに認められるためではなく、まずは自分を知り、自分を肯定するための営み。そう気づかせてくれると同時に、文章を書くことのハードルを少し下げてくれる一冊でした。 物語を通して見えた「書くこと」の意味 日記を書き続けることの大切さがメインテーマにあるけれど、実際に読んでみると、いまこうして書いている本の感想や、ほかの文章を書くときにも役立ちそうなテクニックがたくさん盛り込まれていました。 とくに「たくさん」の類語がずらっと載っているページは、自分でも小説が書けるんじゃないかと思えたぐらい笑 心情や情景描写に優れた小説が評価される理由もよくわかりました。これだけの言葉を自在に操って気持ちや景色を表現しているわけですから。 でも、ボキャブラリーを増やしたりテクニックを磨いたりする以上に大事なのは、やっぱり自分に嘘をつかず、納得するまで自問自答を繰り返しながら言葉を探し続けることなんだと。その積み重ねがきっと自分を作っていくんですよね。 他の方の感想には「中高生のときに読みたかった」という声も多かったですが、日記はいつからでも始められるものだし、大人にこそ読んでほしい一冊です。 物語の結末としては、タコジローが親に気持ちを伝える場面はなく、友達が増えたわけでもありません。 イカリくんとの関係が続き、アナゴウくんとこれから仲良くなれそう、という描写があるくらいです。 でも、日記を書き続けることでタコジローが自分を肯定できるようになった様子が伝わってきて、「書くことの本質ってここかもしれない」と思えました。 誰かに評価されるわけでもなく、生活が劇的に変わるわけでもなく、ただ自分と向き合い、自分を知り続けること。そのために書く文章は自分にしか書けないものなんだと。 なんでも順位をつけられる世の中で、オンリーワンを極められるのは確かに「文章」なのかもしれません。 絵や音楽などの芸術もそうですが、それよりも身近で形にしやすいのが文章だと感じました。 文章は少なからずみんな書い...