【水やりはいつも深夜だけど】感想と考察

 水やりはいつも深夜だけど / 窪美澄


所感

この小説は、子育てに悩み苦しむ親とそこに答えを見出す子どもたちの物語、かな。
1~4章は親目線、5,6章は子ども目線(同じ家庭ではない)。
とくに1~4章は子どもが親たちを救ったり結んでくれたりする話が多い。

6章の陸の発言「子どもには家族の形を選べない。大人になったら選べるのかな」の通り、家庭を選べない子どもたちが、家庭を作っていく側の親たちの目を覚まさせてくれる。


親たちの苦悩は少しもドラマチックではなく、むしろ現実味しかないんだけど、不思議と子育てや家庭を作ることにネガティブな印象は抱かなくて…
各章が希望のある終わり方ということもあるかもしれない。
これだけ悩み苦しむことがあるだろうけど、それでもかけがえのない存在として「家庭」を作っていきたいなぁと思えるストーリーの流れだった。


巻末対談の言葉を借りると、主人公たちはパートナーや世間や子供たちに、自分の苦悩やコンプレックスを「わかってほしい」と言っている。
こう解釈すると自分勝手な主人公たちに思えるけど、人間関係の悩みって究極これに尽きるんじゃないか、と思う。
きれいごとかもしれないけど、みんながそのことに自覚的になって、相手を理解しようと歩み寄ろうとするだけで、スルッとほどけていくわだかまりばかりじゃないかな。

全体の感想

情景描写と展開説明は、端的でわかりやすく軽快に読み進められる◎
それでいて短編集だから「寝る前に1章読も~」的な読みやすさは抜群だけど、正直登場人物たちのこれからをもっと長く追いたい!!家族や自分自身に対する感情の変化をもっと丁寧に読みたい!!という物足りなさは感じた。

とくに3章「ゲンノショウコ」。
風花ちゃんには結局障害あったのかもだけど、お母さんが風花ちゃんの行動を通して妹との思い出をどう受け止められるようになったかとか、良樹くんと風花ちゃんのこれからの関係性とか!
読者に委ねられる部分が大きいのかも。

各章の世界線が同じ現代ではあるんだけど、全然干渉しあってないのも個人的に推し!
(唯一つながっている5,6章は、6章が5章の後日談的に、単行本制作時に追加収録されたそう)
各章がやんわりつながってる小説も好きだけど、つながってるポイントとか共通する登場人物を探すのに意識とられちゃって感情移入難しいこともあるから。
この本は一切そんなことなく、各章の主人公の感情に触れられた気がする。

登場人物たちが住んでいるエリアにもよるのかもしれないけど、専業主婦や子供のお受験戦争が主流なあたり、数年前の社会に感じた。発行は平成位29年だから感覚的にはあってるかな~

題名はどういう意図だろう。共通して植物がモチーフとなっているから、その植物たちに「水やり」をする。
水やりをすると植物は育ち、弱っていても回復するから、人間たちが「深夜」にひっそりと回復していく様子に準えてるのかな…?
実質的な「深夜」じゃなくて「人には見えない場所で」という意味の「深夜」だと思うけど。
でも「いつも深夜だけど」だからそのあとに続く言葉、「だけど」が表すニュアンスが難しいなー。


各章の感想

1章:ちらめくポーチュラカ

「自分はあのときざっくり傷つきました。そして、そのときの傷は大人になった今でも癒えないままで、ときどき、しくしくと痛むのです」
まずこの出だし!!いい意味で短編と思えない!
人によって重さ軽さはあれどこうやってふいに思い出しては、毎回心を抉る記憶は多くの人にあるんじゃないかと思う。


「骨などないはずの心のどこかが、ぽきりと折れる音がする」
この表現も好き~。「心が折れる」っていう日本語的表現の幅の広さを実感する。


私はいつだって大多数側の凡人なので、実際杉崎さんみたいな子おったら多分遠巻きしてただろうな…
直接暴言かけるほど憎むような感情は抱きにくいけど、「杉崎さん美人でちょっとのろまだしみんなに嫌われるのもわかるなあ」って多分思っちゃう。

学生時代、出身とか部活とかいろんな境界で分けられたグループ関係に、居心地を悪さは感じてたけど、自分自身「一軍とか二軍とか、そういうもん」って感覚は根強くて、そこに問題なく順応できてしまう人間だった。
むしろ順応しない人たち(杉崎さんみたいな)になんとなく距離を感じてしまっていたぐらい。

きっと結婚して出産したら、専業主婦とか扶養内パートとか正社員共働きとか、通わせてる幼稚園保育園とか、住んでるエリアとかで、境界線作ってその中で生きていけるんだろうなぁ…
おかげで杉崎さんのような生きづらさは感じにくかったし(美人で妬まれることもなかったので)、本を読むとそこの感性が敏感で鋭い人たちに憧れて、その感性のかなった自分に失望してしまうのは結構あるある…

でも、杉崎さんの小さなお店占領した時に居心地の悪さを感じるところとか、人の目を気にしすぎて逆張りしてしまうところとかめちゃくちゃ共感できるから、同族嫌悪かつ反面教師的に見てたかもしれない。
お店での感覚は、地域性にもよると思うけど。

多分その地元に長く住んでる人たちは、「ここら一帯は私たちの庭!なんでも知ってる!」みたいな意識が少なからずあるから、お店を占領してたって「何時間制なんて決まりがある店じゃないし、自分たちが先に座ってお金も払ってるんだから好きに過ごしていいに決まってる」っていう、いわゆる我が物顔な感覚が身についちゃうのよね。

だから逆に基本余所者ばっかの都会の場合、そもそも人が多くて時間制の店が当たり前なのはあるとしても、感覚として店の混み具合とかをよく見てる人が多い気がする。


「人生を肯定し、果敢に友だちとつながりを持とうとする、その勇気。」
私にも欲しい…!とくに友だちとのつながりって大人になるほど意識的に結んでいないと、ライフステージの違いとかですぐ離れていってしまうのに、お互い修復の勇気を持とうとはしなくなるから。

2章:サボテンの咆哮

男の人目線はなかなか共感しづらかった~~~
今でも男性の育児参加論、そもそも「参加」という言い方がおかしい!という話は絶えないけど、この章を男性が読んだらどう感じるのか気になる。
早紀は武博のなにが不満だったのか、男性にはわかるのかな。

女性である私からすると、武博は結局言われるがままで、「早紀しんどそうやからしばらく実家に帰ったら?」とか「仕事の復帰は急がなくてもいいよ」みたいな言葉や働きかけが武博からなかったのがあかんかったんなと思う。
というか私ならそう思って不満募らせちゃう。
けど、当の本人は「俺はやることやってるやん」って顔するんやろ??そら腹立つわ。

成人女性なんやからそれぐらい自分でSOS出せるようになれって言いたくもなるかもしれんけど、やっぱり産前産後のメンタルは一人で抱えきれるものじゃないし、出産を経験したことの無い人にはわからない精神状態があるよ。

でもこんな息の詰まる家族での生活を背景に(しているかもしれない中)、仕事頑張ってる世のお父さんたちはえらすぎるけど。


ほんで、おじいちゃんことこ泣くて〜😭😭😭
家族っていい思い出ばっかじゃないし、日常で感じるのは不満ばかりになっちゃうけど、家族ってだけで話せることとか共有してきた感情、思い至れる場面があって、それを頼りにすれば一度壊れたとしてもやり直せる。
日々至ってないところばかりに目を向けて、そのままその人に対する愛情まで無くしてしまわないようにしないとな、と思いました。


3章:ゲンノショウコ

出生前診断も障害のある子を家族に持つのも難しいテーマ…。
大学で福祉を学んだ自分も結局障害者に対する咄嗟の嫌悪感は拭えてないしなぁ。

今はこの小説の時代よりかなり価値観が変化してきてるのもあるし、私自身は出生前診断は基本的にやろうと思ってるけど…
実際「障害を持って生まれる可能性がある」とわかったとき、事前準備ができるからとはいえ、出産を100%楽しみにできなくなってしまうことも怖い。

4章:砂のないテラリウム

こやつが一番腹立った!!!
あと一歩間違えてたら不倫継続する未来が待ち受けてるのが、現実味あるから余計恐ろしい。
最後妻と和解するシーンで、そうだよ!!!お前はなんも見てなかったんだよ!!!わかりやすい愛情表現にばっか求めて、目を奪われて!!!ってキレそうになった笑

でも現実問題、不倫はお金ある人しかできないんだなってのは妙に腑に落ちたかもしれない。 


不倫してる人って家庭と不倫相手が矛盾せず両立してるんやろな。
なんなら、どっちも自分が楽しく生きていく上では大切な存在とか思ってそう。
不倫相手がいるから家族に優しくできるし、家族がいるから不倫に勤しめる、とか。
両方の存在を自分の尺度でしか見てないその自分勝手さが腹立つんやけども。


岡崎さんをあまりに幸せで成功している存在として見ているシーンには、正直思い込みの激しさと劣等感の強さと情けなさを果てしなく感じたけど、岡崎さんが離婚予定と聞いて少し見る目が変わることころは、私も情けなくもわかってしまった。
成人すると、ますます誰が幸せかなんて周りから見てわかんないのにね。

岡崎さんだって、「幸せそうに見えて実は離婚予定があって不幸せ」なのか「いままでの結婚生活の方が不幸せでむしろ離婚が決まった今ハッピー!」なのか「そもそも別に幸せでも不幸せでもない」のか本人にしか、本人にだってわかんないのに。


5章:かそけきサンカヨウ

陽はそりゃ自分のいないところで、いつのまにか実父と継母になる人とその娘とが同じ時間を過ごして、関係性を築いているなんてやだよねーーー。
娘たちの年齢とか事情はあれど、自分だけ置いてけぼりで、もう承諾せざるを得ない段階になってから再婚を打診されるなんて、、、やりきれない。


陽の1番古い記憶が、前のお母さんとのやり取りやその時の空の景色だったのに対して、ひなたちゃんの記憶が、お父さんお母さんお姉ちゃん(陽)がいる幼少期から始まるだろうなって陽が感じ入るところが、自分の経験や感覚と重なった。

自分も年の離れた妹がいて、大人になった今、両親について昔の印象を話すと結構違って面白い。
(私が「お父さんこういうとき絶対機嫌悪かったよなー」って言っても、妹の幼少期には父親自身も怒りにくくなってて(子育ての慣れとか父自身の年齢による成長があったんだと思う)、妹の中では「お父さんの怒ったところは見たことがない」になってるとか)
当たり前だけど兄弟姉妹で見る景色は違うよなぁ。

6章:ノーチェ・ブエナのポインセチア

「家族でいる」って決めること。
大袈裟なようですごく大事なこと。
世の中の「家族」一人一人にも、個人差はあれど無意識にその思いが心にあると思う。

だからいろんなすれ違いが起きても離れ離れになっても、「家族でいる」ことを諦めなかったら、いくらでも修復できる。
それも「家族」の形だということもできる。そうやって距離や形を変えていきながらも「家族」であり続けられる。

逆に「家族でいる」ことを諦めてしまったら、けして離婚や別居という形をとらなくても、もう家族ではなくなってしまうんだと思う。


陸の「子どもには家族の形を選べない。大人になったら選べるのかな」が特に刺さった。
大人になっても家族になってみないとわからないことがいっぱいで、けして選べる訳じゃないけど、でも子どもより選べて、かつ自分たちで作って変えいけるのもたしか。
なのに、家族の在り方や解釈は、その形を与えられるだけの子どもに委ねて育てるしかない。
子どもが幸せな家庭か、なんてとこまで気が回らないような親も多いと思う。

以前なんかの番組でミキティが「(子育ては)毎日ご飯を食べさせて寝かせれば十分」って言ってたけど、この感覚は親自身が子どもに寛容じゃないと実現できない子育て論じゃないかな。
「子どもも毎日ご飯食べて睡眠とってればいいよ」っていう寛容さ。
「いい学校にいかせなきゃ」「変な友人は作らないでほしい」とか求めるから、それは回りまわって自分のタスクになってしまう。

ちょっと話はズレたけど、「どういう子どもに育てるか」ということにとらわれて、子ども自身の「家族への解釈」「この家族で幸せか」という視点が抜けている親が多いんじゃないかっていう。
子育てしたことないから偉そうなことは言えないし、結果その視点があっても本当のところ子ども自身がどう感じてるかなんて正確に把握できることはないんだけど。


あと、また自分を顧みて悔の念を抱いてしまったのが、陸が身体の事情による制約がある中で未来を選ばなければならないことを、ひそかに嘆くシーン。
その段階ではすごく苦しくて先が見えなくなってしまうかもしれないけど、その道に進み始めたらきっと後悔なく進めると思うんよね。

だって後ろ髪引くほかの可能性を気にしなくていいから。
「あのときもっとこうしてたら…」っていう後悔は、「あのとき」本当にその意思があれば選べていたかもしれない選択肢も結構ある。
いっそ選択肢が最初(進路選択時)からしっかり制限されてた方が、将来的にそういう感情になりにくいんじゃないかぁって。
こんな感情、陸からしたら傲慢な後悔だろうけど。

あと蛇足すぎるけどごめん…陸は身体的興奮がNGなら恋人同士の行為にも制限かかるんだろうか…
↓調べてみたら、、、

▼アメリカ心臓協会(AHA, 2012年)
・安定した心疾患で中等度の運動に耐えられる人は、性行為も概ね安全である
・6分間歩行テストで息切れしない程度の運動が可能なら、性行為も概ね問題ない

▼日本循環器学会(JCS)ガイドライン(2018)
・性行為は日常生活の身体的活動の一部として位置づけられ、運動耐容能が低い患者では慎重な評価が必要。

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