【風に立つ】感想とつぶやきと
あらすじ
言葉少ない頑固な父と、父から愛情を感じられずいつしか軽蔑さえ抱くようになってしまった息子。
そんな中、父が非行少年の補導委託を引き受け、一緒に暮らすことに。
父が非行少年に見せる表情や言葉に、戸惑いを抑えられないながらも、非行少年が結ぶかのように父子は少しずつ距離を縮めていく。
父はなぜ補導委託を受けたのか、父の辛い過去とは、父子関係はどうなっていくのか、そして非行少年と両親の関係性から見える非行の原因とは ─── 前半読むにつれて溜まっていく謎が、後半少しずつ丁寧に解されていく。
2つの家族、再生の物語。
感想
設定について
本作を悟と孝雄親子の物語としてみると、、、
頑固な父親と嫋やかな母親。息子は、偏屈ともいえる父親といつのまにか距離ができ、母がそんな父子をつなぐ役割にもなっていた。しかしその溝は埋まらないまま母親は他界。残された息子はますます父への嫌悪感を募らせるが、ある出来事をきっかけに父親の過去や本質を知り、母親が父親のことを「不器用」だと笑っていた意味、父母の愛の在り方が分かる。そこから父親と向き合い、これまで近づけなかった距離を近づけていく。
ーーー正直ありきたりな物語ではある。心情変化に納得感があって、変にお涙ちょうだい感がないのは好みだったけども。
ただ、父子関係が再生し始めるきっかけが「非行少年の補導委託」というのが目新しかった。
個人的に福祉を専攻していたので、その点で興味を持ったのだと思う(もう読もうとした理由は覚えてない)。
非行少年と父親、非行少年と息子、そして父と息子という三者三様の背景、成長が重なり合っている様子が、飽きさせない運びとなっていた。
主人公の心情変化も滑らかで読者を置いていかないし、時系列というか会話の進み方?場面の切り替わり方?がリアルで。
子育てに悩む人、親子関係にわだかまりが残る人、家族に不満がある人 ─── 日常生活でいつしか放っておいた人間関係を見つめ直すきっかけをくれる一冊だと思った。
子育てに悩む人、親子関係にわだかまりが残る人、家族に不満がある人 ─── 日常生活でいつしか放っておいた人間関係を見つめ直すきっかけをくれる一冊だと思った。
悟の孝雄に対する印象や距離の変化を、雰囲気で省略せず、悟が孝雄にかける言葉や態度でしっかり現しているのもよかった。
敢えて小説内では語らず、余韻を残して読者に委ねる小説も多いけど、そういうのって消化不良にも感じられちゃうから。
そして最後、悟が補導委託先の責任者になったのもすごくいい!!ストーリーとして!!
敢えて小説内では語らず、余韻を残して読者に委ねる小説も多いけど、そういうのって消化不良にも感じられちゃうから。
そして最後、悟が補導委託先の責任者になったのもすごくいい!!ストーリーとして!!
ただ読みながらずっと気になってたのは、物語が肯定する「家族の在り方の正解」。家族関係修復の物語だから「家族が一緒にいること」を肯定する内容になるのは当たり前なんだけど、「一緒にいない方がいい家族」も今どきいるわけで…とか気になってしまうようになってきたんだよな…
自分はシンプルに家族好き!なタイプだから、実際は「家族が一緒にいること」には全然肯定派なのに。
読書の感想で、世間体とか配慮を持ち出すようになってしまった自分の感覚が、なんとなく薄っぺらく感じてしまうのは心からその価値観に共感していないからなのだろうか。
読書の感想で、世間体とか配慮を持ち出すようになってしまった自分の感覚が、なんとなく薄っぺらく感じてしまうのは心からその価値観に共感していないからなのだろうか。
というか筆者はバイオレンス系小説が主流の方だったとは…読後に知りました。バイオレンス系読まないからわからないけど、全然その片鱗を感じない、穏やかな物語だったと思う。
春斗の自律物語として
一定の距離を保ちながら安定した温度感で接する悟、年齢差を感じさせない(あえて悪く言えば)馴れ馴れしい健司、子ども扱いも甘やかしもせず真っ向から意見をぶつけてくる八重樫、そして不器用に底知れない愛情で、急かさず見守ってくれる孝雄ーーーいろんな大人たちが春斗に関わっていくことで、春斗の内面が揺さぶられ、自分と向き合うきっかけになっていく。
子どもの人格が周囲の大人によって形成されていく様子がよくわかる。
子育てにおいて交友関係はもちろん大事だけど、大人との信頼関係・交流も同じくらい大事だ。
子どもの人格が周囲の大人によって形成されていく様子がよくわかる。
子育てにおいて交友関係はもちろん大事だけど、大人との信頼関係・交流も同じくらい大事だ。
「過保護すぎる親とそこから逃げ出したい子ども」っていう一辺倒の関係性だけじゃなくて、子どもが親や自分自身とどう向き合っていいかわからない葛藤や心の動きが繊細に表現されてた。
春斗が父親に「いまからバイク免許取れるね!」って言ったところは一番ウルっときたやー。
親が子どもに教えられ気付かされることはやっぱり多い。
悟と孝雄
孝雄は不器用で自責すぎるし、悟は思い込みと父親に対する理想がすぎる。
事実、孝雄の愛情はわかりにくすぎる。母娘のように機敏な女性ならまだしも、同じように感情表現が得意ではない悟には伝わってこなくて当たり前。
だから、悟がほかの登場人物たちに「父親(孝雄)の温かさをわかってない。愛情に気づいてない」って一方的言われるのはなんか違うんじゃんって思っちゃった。
事実、孝雄の愛情はわかりにくすぎる。母娘のように機敏な女性ならまだしも、同じように感情表現が得意ではない悟には伝わってこなくて当たり前。
だから、悟がほかの登場人物たちに「父親(孝雄)の温かさをわかってない。愛情に気づいてない」って一方的言われるのはなんか違うんじゃんって思っちゃった。
それに「愛情」って主観で感じるもののように見えて、実は周囲と比較したり他者からの評価を聞いたりすることで実感する、客観的要素もかなりあると思うんよね。
悟には思春期の間、それを教えてくれる環境がなかったのも大きいと思う。
しかも悟には子供がいないから、大人になってしばらくしても、孝雄を評価する目が変わるきっかけがなかった。
だから補導委託を通して、孝雄が春斗に向ける愛情や責任感を見て、親としての孝雄を俯瞰的にみるきっかけになったんだな。
そして、春斗が春斗の両親と衝突して拗れていく様子を見て、自分の孝雄に対する思い違いや見えていなかったものがあることを知る。
もし結婚して子供が生まれていたら、孫に向ける表情や言葉で、孝雄の愛情を感じ取っていたのかもしれない。
そして、春斗が春斗の両親と衝突して拗れていく様子を見て、自分の孝雄に対する思い違いや見えていなかったものがあることを知る。
もし結婚して子供が生まれていたら、孫に向ける表情や言葉で、孝雄の愛情を感じ取っていたのかもしれない。
「家族」ってその数だけいろんな形があるのはなんとなくわかってるし、傍目に幸せそうに見える一家だからといって内情がそうとは限らないってことも想像がつくはずなのに、自分が家族関係で苦しんでいるとそれを思い出せなくなる。
自分の親はなんで自分のこと愛してくれないんだって、周りの家族はあんなに幸せそうなのに、自分に何が足りなくて、家族の何が問題なのかって思考に入り込んでしまう。
自分にもそんな時期があった。でも大人になった今、過剰ともいえるその自意識や劣等感、閉鎖的思考は多感な時期には誰もが抱くものなんじゃないかと思っている。
むしろそこで苦悩し、一度家族と距離を置いたり自我を爆発させたりすることこそ、成長の過程においては正常といえるぐらい。
悟は孝雄にそこまで感情をぶつけらないまま距離を置いてしまい、孝雄も悟が大事すぎて踏み込めずに、ずっと歳を重ねてきてしまったんじゃないかな。
自分の親はなんで自分のこと愛してくれないんだって、周りの家族はあんなに幸せそうなのに、自分に何が足りなくて、家族の何が問題なのかって思考に入り込んでしまう。
自分にもそんな時期があった。でも大人になった今、過剰ともいえるその自意識や劣等感、閉鎖的思考は多感な時期には誰もが抱くものなんじゃないかと思っている。
むしろそこで苦悩し、一度家族と距離を置いたり自我を爆発させたりすることこそ、成長の過程においては正常といえるぐらい。
悟は孝雄にそこまで感情をぶつけらないまま距離を置いてしまい、孝雄も悟が大事すぎて踏み込めずに、ずっと歳を重ねてきてしまったんじゃないかな。
母の死をきっかけに、さらに溝が深まった孝雄と悟(実際は悟→孝雄)。
家族は多くの時間を過ごしているから、生死や将来に関わる大事が起こると、揺れたり激高したりした感情をそのままぶつける相手にもなってしまう。
お互い冷静になれずに関係や距離を修復できないまま生きていってしまう家族も多いと思う。
でもどこかで互いの心の内を知るきっかけや、自分の立場が変わりあのときの相手の感情に思い至る変化があれば、見えるものや近づける関係性もある。
(二者関係とは限らないが)そのときどちらかが亡くなっていて後悔するようなことにはなりたくないなぁ。
お互い冷静になれずに関係や距離を修復できないまま生きていってしまう家族も多いと思う。
でもどこかで互いの心の内を知るきっかけや、自分の立場が変わりあのときの相手の感情に思い至る変化があれば、見えるものや近づける関係性もある。
(二者関係とは限らないが)そのときどちらかが亡くなっていて後悔するようなことにはなりたくないなぁ。
春斗と両親の関係性
父子の間に立って橋渡しのような役割をしているうちに、いつのまにか「自分の意見」がなくなってしまった春斗母が印象的だった。
こういう母親結構多いんじゃないだろうか。
父親が良くも悪くも子育てに干渉しないタイプだったら、母親の方が心配性になって子どもにルールを課して(ゲーム1時間までとか、先に宿題しなさいとか)、将来を期待をする立場になる。
でも、父親が過干渉だったり理想の人生を子供に押付けたりするタイプだった場合(まさに春斗父)、母親はそれに反論できず一緒に子どもを縛り、自分も縛られるようになっていく。
両親ともに教育パパママの場合は例外だけど。
こういう母親結構多いんじゃないだろうか。
父親が良くも悪くも子育てに干渉しないタイプだったら、母親の方が心配性になって子どもにルールを課して(ゲーム1時間までとか、先に宿題しなさいとか)、将来を期待をする立場になる。
でも、父親が過干渉だったり理想の人生を子供に押付けたりするタイプだった場合(まさに春斗父)、母親はそれに反論できず一緒に子どもを縛り、自分も縛られるようになっていく。
両親ともに教育パパママの場合は例外だけど。
子どもが生きていく上で、一番大事なのはなにか。
自由か経済的余裕か、そもそも一番なんて決められないけど…。
自分の幼少期〜思春期がどの時代だったかによっても変わってくるし。
終戦直後だったらまずなによりも経済的余裕だし、現代では最低限の衣食住が満たされている可能性が高いから、さらに高次的な自由を求めたいし。
春斗父は、春斗を通して子ども時代の自分の貧しさや苦しさを救いたいんだろうな。いわゆる自己投影。
でも春斗はあのときの自分ではないし、時代も変わり人生に求めるものが変わってきているという視点が抜けている。
自由か経済的余裕か、そもそも一番なんて決められないけど…。
自分の幼少期〜思春期がどの時代だったかによっても変わってくるし。
終戦直後だったらまずなによりも経済的余裕だし、現代では最低限の衣食住が満たされている可能性が高いから、さらに高次的な自由を求めたいし。
春斗父は、春斗を通して子ども時代の自分の貧しさや苦しさを救いたいんだろうな。いわゆる自己投影。
でも春斗はあのときの自分ではないし、時代も変わり人生に求めるものが変わってきているという視点が抜けている。
もちろん春斗父のように、世間的にまともな親なら「子どもには自分のような苦労をして欲しくない」「幸せに生きて欲しい」と思うのは当たり前。
だけどそれに囚われると、子ども本人の好き嫌いや感情、成長に目を向けられなくなってしまう。
親の尺度(大抵は自分の過去や周囲のほかの家族たちによって形成されたもの)でしか、子どもを褒めたり叱ったりできなくなる。
そして子どもはそれに遅かれ早かれ敏感に気づく。
「お父さんお母さんは僕/私を見てくれてない」「自分たちのことしか考えてない」と感じるようになる。
この関係性を修復できる機会は限られていて。
幸運にも親子関係性が切れないまま(物理的・心理的な距離や定期的な連絡など)、子どもが親の立場になり、過去の親の苦悩や未熟さに気づき理解できたとき。
もしくは子の成長過程で、親が子どもへの自己投影や依存から抜け出し、自分のこだわりを過去のものにして、心地いい距離感を見つけられたとき。
でも現実的には、取り返しのつかない状態になってしまった親子は少なくないと思う。
だけどそれに囚われると、子ども本人の好き嫌いや感情、成長に目を向けられなくなってしまう。
親の尺度(大抵は自分の過去や周囲のほかの家族たちによって形成されたもの)でしか、子どもを褒めたり叱ったりできなくなる。
そして子どもはそれに遅かれ早かれ敏感に気づく。
「お父さんお母さんは僕/私を見てくれてない」「自分たちのことしか考えてない」と感じるようになる。
この関係性を修復できる機会は限られていて。
幸運にも親子関係性が切れないまま(物理的・心理的な距離や定期的な連絡など)、子どもが親の立場になり、過去の親の苦悩や未熟さに気づき理解できたとき。
もしくは子の成長過程で、親が子どもへの自己投影や依存から抜け出し、自分のこだわりを過去のものにして、心地いい距離感を見つけられたとき。
でも現実的には、取り返しのつかない状態になってしまった親子は少なくないと思う。
だからこそ春斗の両親には、春斗がなぜ家を出たいといったのかってことに向き合ってほしい!ってめちゃくちゃ思いながら読み進めてた。
金銭面では不自由なく育ててきたかもしれないけど、そこではないところで家に不自由を感じてるから出たいんだってことに気付いてほしいって。
金銭面では不自由なく育ててきたかもしれないけど、そこではないところで家に不自由を感じてるから出たいんだってことに気付いてほしいって。
「動物に関わる仕事がしたい」なんて、詳しいことあんまり調べてないのに言うんじゃない。まずは今目の前にある勉強をしなさい。って言う春斗父の感覚もわかるけどね。
でも子どもが「やりたい」って思ってそれを言葉にしたこと、まずはそれを褒めて欲しい。やりたいことが見つけられる子どもはけして多くないから。
そもそも大人になれば「この職業はあまり儲からない」とかわかってくるけど、子どもがそんなことわかるわけない。
「やりたい」って思ったところからがスタートなんだから、実際できるのかとか業界研究なんてそこからしていけばいいのよ。それを手伝うのが親じゃん。
そもそも大人になれば「この職業はあまり儲からない」とかわかってくるけど、子どもがそんなことわかるわけない。
「やりたい」って思ったところからがスタートなんだから、実際できるのかとか業界研究なんてそこからしていけばいいのよ。それを手伝うのが親じゃん。
つまり一番厄介な親って、自分の間違いを認めない親かもしれないな。
さらにその根本に「子どものため」が染み付いてる人。まさに春斗父。
子どもがなにをいっても、子どもから嫌われようとも考えを曲げないから、子どもはそこから逃げられない。
「愛情」として受け止めないといけない、自分は恵まれてるんだからと自分に言い聞かせないといけなくなる。
そして「愛情」としてありがたく受け取れない自分を責める子供になってしまうんじゃないか。
さらにその根本に「子どものため」が染み付いてる人。まさに春斗父。
子どもがなにをいっても、子どもから嫌われようとも考えを曲げないから、子どもはそこから逃げられない。
「愛情」として受け止めないといけない、自分は恵まれてるんだからと自分に言い聞かせないといけなくなる。
そして「愛情」としてありがたく受け取れない自分を責める子供になってしまうんじゃないか。
親子関係全般について
親の昔の話って聞きづらい。
歳を取れば勝手に話す人と、だんだん話さなくなる人がいて。
自分の親は後者だからきっかけがないとなかなか聞けない。
そのきっかけも自分から作るより、自然とそばにいるタイミングでふと訪れるものだからなあ。
歳を取れば勝手に話す人と、だんだん話さなくなる人がいて。
自分の親は後者だからきっかけがないとなかなか聞けない。
そのきっかけも自分から作るより、自然とそばにいるタイミングでふと訪れるものだからなあ。
親子関係はどちらが間違ってるって言いきれないし、むしろどちらも間違っている/間違っていないこともあるから余計拗れて難しい。
実際、時間の経過や立場の変化でしかわかりあえないこともある。
でも待っている間に取り返しがつかない状態(一方が亡くなったり絶縁してしまったり)になる可能性はけして低くもない。
膝を突き合せて言葉を交わす勇気も必要なんだと思う。
実際、時間の経過や立場の変化でしかわかりあえないこともある。
でも待っている間に取り返しがつかない状態(一方が亡くなったり絶縁してしまったり)になる可能性はけして低くもない。
膝を突き合せて言葉を交わす勇気も必要なんだと思う。
その他読みながらつぶやき
両親の顔や後ろ姿を改めて視界に入れた時、記憶より歳をとりすぎていることに気付かされるのはもうあるあるだ‥‥!
日常で頭に再現する父母は、いつまでも自分が中高生ぐらいに見ていた表情や声、背格好だから。
ちょっと違うかもしれないけど、職場にいるおじさんおばさんたちと両親が同年代であることは、頭ではわかっているはずなのに、両親が世間的におじさんおばさんであることに違和感覚えるのはなんでだろう。
日常で頭に再現する父母は、いつまでも自分が中高生ぐらいに見ていた表情や声、背格好だから。
ちょっと違うかもしれないけど、職場にいるおじさんおばさんたちと両親が同年代であることは、頭ではわかっているはずなのに、両親が世間的におじさんおばさんであることに違和感覚えるのはなんでだろう。
春斗が鋳型を壊した時、怒るべきか問いただすべきか迷う悟の性質がめちゃくちゃわかる。
自分もそうやって、春斗にとって周囲にとって「適している」行動をとろうとしてしまう。
孝雄のように、まずは身を案じるっていう選択が出てこない。
春斗の行動を、行き場のない感情の爆発だと、彼からのSOSだと、捉えられていないからかな。
自分もそうやって、春斗にとって周囲にとって「適している」行動をとろうとしてしまう。
孝雄のように、まずは身を案じるっていう選択が出てこない。
春斗の行動を、行き場のない感情の爆発だと、彼からのSOSだと、捉えられていないからかな。
悟が春斗父に言った「応援者」と「味方」の違い、わかりやすいしその通りだな。
味方は相手の望むことを叶えるために、相手が健やかに日々生きられるために、傍に寄り添い声をかけ続ける存在。
かたや応援者は要は自分の望む結果を出させるために、金を出す、声を出す。要はスポンサーだ。
味方は相手の望むことを叶えるために、相手が健やかに日々生きられるために、傍に寄り添い声をかけ続ける存在。
かたや応援者は要は自分の望む結果を出させるために、金を出す、声を出す。要はスポンサーだ。
健司にとっての孝雄のような、心から尊敬し信頼しついていこうと思える存在 ── 私もいるかなあ。
もしいたら、悟が感じたように「人生の厚み」が変わってくる気がする。
そういう存在って周りにいる人がどうとかではなくて、自分の中身や受け止め方が変わらないとできないものなんだよね、きっと。
もしいたら、悟が感じたように「人生の厚み」が変わってくる気がする。
そういう存在って周りにいる人がどうとかではなくて、自分の中身や受け止め方が変わらないとできないものなんだよね、きっと。
最後孝雄が南部鉄器職人を選んだ理由が、「もう、辛い思いをするのは嫌だったからなあ」か…。
天気に左右されない南部鉄器職人を極めた背景が、思っていた以上に現実的で少し切なくなった。
もちろん職人気質な孝雄に合っていて、孝雄が自責の念や家族を想う気持ちと向き合いながら孝雄自身を救うための行為にはなっていたんだろうけど。
天気という人間が抗えないものに翻弄された孝雄の半生が改めて歯がゆく感じた。
もちろん職人気質な孝雄に合っていて、孝雄が自責の念や家族を想う気持ちと向き合いながら孝雄自身を救うための行為にはなっていたんだろうけど。
天気という人間が抗えないものに翻弄された孝雄の半生が改めて歯がゆく感じた。
印象的な言葉
「食う・寝る・出す ─── 人が安心して暮らすには、飯、ゆっくりねむれる場所、落ち着いてできる手洗い、この三つが必要だって」
「本人がどう思うかは別として、こっちはあなたを歓迎してるって気持ちを表すのは大事なことだよ」
「自分がなにを怖がっているのか」
→非行はなにかから逃げたいという逃避願望の表れかもしれないな
「三つの貧困 ── 金、愛情、教育」
「本はいいよ。本を読むとね、人が抱える苦しみや悲しみは昔から変わらないんだってわかるんだよ。そして本には、人がその苦難とどう向き合い乗り越えたのかってことが書いてある。」
「なにかがこじれる理由は、相手の考えていることがわかんないからだよ。」
「幸せな人生ってなんだろうなって考えました。恵まれた人生と充実した人生って同じじゃないのかもな、とか。でも、生きていくためには整った環境は必要だよな、とか。」
苦労しない人生が幸福とは限らないからね。
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